これからの創造のためのプラットフォーム

2016.11.05
フィールドの音を録る

柳沢英輔( 同志社大学文化情報学部助教)

みなさん、こんにちは。柳沢と申します。僕は地域に根付く音の文化を研究しており、現地で音を録音するフィールドレコーディングをもとに研究、作品制作を行ってきました。今日は「フィールドの音を録る」というテーマでお話をさせて頂きます。

まず、簡単に自己紹介をさせて頂きます。大学生の頃にパソコンを使った音楽制作やタイの楽器の演奏をしていて、東南アジアでフィールドワークやフィールド録音がしたいという気持ちから京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に入学しました。大学院を修了し、ポスドクを経て、2015年から同志社大学で働くことになり、これまで続けてきたベトナム中部高原の山岳民族のゴング文化の研究に加えて、京都など日本の音文化についても調査を始めつつあります。研究手法として、音響・映像メディアを活用したフィールドワーク、つまりフィールドで録音や撮影を行い、記録した音響、映像資料をもとに論文を書いたり、音響・映像作品を制作したりしています。

フィールドレコーディングとは

フィールド録音がどういったものか、ということを紹介します。色々な呼び方がありますが、最近はフィールドレコーディングやフィールド録音という言葉が一般的になってきています。音は鳴った瞬間に消えていきます。フィールドの音を録音するというのは落ちている音を拾い集めるというより、能動的に自分から捕まえにいく、ハントするという感じがあり、サウンドハンティングという呼び方が僕は好きです。フィールドレコーディングというと野外や屋外で行うイメージがあると思うのですが、必ずしもそうではなく、例えばミュージアム内のサウンドスケープを録音したり、料理の音を録って作品化したり、身の回りのすべての音が対象となり、どこでも出来るというところも面白さなのではないかと思います。

フィールド録音の目的ですが、主に3つあります。まず、学術調査です。19世紀、エジソンにより蓄音機ができて、それを使って世界の諸民族の様々な音楽や言語が録音されて、後の言語学、民族音楽学等の基礎的な資料となっていきました。その当時から現在まで、メディアは変わりながらも様々な学術分野でフィールド録音が行われています。2つ目は、アート実践で、ミュージックコンクレートのように自然音や環境音を編集・加工して楽曲を作ったり、メディアアートの素材として用いるようなことです。また非加工のフィールド録音作品もあります。映画・放送番組も音が必要で、プロの音響さんがフィールド録音をしています。最後に、個人的な趣味での録音です。例えば鉄道の音を専門に録音するマニアな人の中には、音を聞くだけで車両やエンジンの種類がわかるという人たちもいるみたいです。

フィールドレコーディングには、歴史上たくさんの重要人物がいます。野生動物の録音のパイオニアであるLudwig Karl Koch、ミュージックコンクレートの創始者であるPierre Schaeffer、サウンドスケープという概念を提唱して現代でも影響力の強いMurray Schafer、オセアニアの音楽研究で有名なHugo Zemp、録音した音を現地の人たちに聞かせてそのフィードバックを元に議論を構築していった人類学者のSteven Feld、前衛の作曲家Annea Lockwood、BBCの録音技師も務めるChris Watson、200以上のリリース作がある実験音楽家のFrancisco Lopez、ハーバード大学感覚民族誌学研究所のErnst Karel、日本人のTsunoda Toshiyaといった方などがいます。

ここからはフィールドレコーディングのどこが魅力なのかと言うことをお話しさせて頂きます。自分の場合、録音中にモニターつまりヘッドフォンでマイクが拾う音を聞くことが多いのですが、そのとき外の生音も同時に聞こえているんです。それらの音が微妙にミックスされて、その時にしか聴こえない音が後で録音されたものを聞くよりも良かったりします。

あとは、例えば、川の音なんかをマイクを通して聞いていると、身体の外部にある音を聞くというより、音が身体の内部に入り込んで、内と外が入れ替わったあるいは溶解したような感覚に陥ることがあります。またマイクの種類によって録れる音が全く異なり、空気の振動だけでなく、個体の振動を拾うマイク、水中の音を録るマイク等があります。これらのマイクを使用すると、普段生活している場所の中に隠れた側面を見出したり、視覚的にみるとなんてことない凡庸な空き地だけど特殊なマイクを使うとその場所が全然別のものとして立ち現れてくるとういう発見があります。

音は視覚以上に記憶と結びついている気がします。録音を後で聞き返した時に、その当時の僕自身の感情や考え、風景なんかがリアルに喚起され、最初の頃はここが面白かったんですね。自分が旅行したところで音を録って、後で聞くとすごくリアルにその時のことが蘇ってくるところがあって、それが、録音にはまるきっかけでもありました。あとは、録音の場で起きる偶発的な展開ですね。例えば雨が降っていて、水が路面に当たる音と鳥の声、あとは遠くで聞こえる何かの低域の音とか、レイヤーが重なり合っては消えていくという偶発的な誰にもコントロール出来ない音の重なりが時々奇跡的に美しく感じることがあります。

アーカイブとしての音の記録

次に、記録としての価値についてお話します。僕が調査しているベトナムでは、毎年のように生態環境が変わってしまっていて、それにともない伝統文化や土着の音楽も変化・消滅しています。地域固有の音が失われているということが現実に起きています。だから音楽だけじゃなく、各地のサウンドスケープを少しでも記録に残しておいたら、学術や教育、娯楽、芸術など色々な活用の可能性があるのではと思っています。ただ音だけあってもそれはどういう内容のものを録ったのかわからないので、いつどこで何をどういう風に録ったのかがわかるようにメタデータの情報も記録しておきます。

そしてマイクについてですけれども、指向性というものがあります。まず無指向性は、360度全方位に比較的均等に感度のあるマイクです。また、マイクの前と後ろに指向性が強い双指向性のマイク、向けた方に指向性が強い単一指向性、その単一指向性の中でもより指向性の鋭い鋭指向性とか、テレビの中継などでよく使われている超指向性といったマイクがあり、指向性により音の録れ方がかわる為、目的や録る対象によって選びます。僕は無指向性マイクを使うことが多いのですが、それは再生したときに自然な音に聞こえるからです。基本的にマイクというのはモノラルで、それを2本組み合わせてステレオで録ります。つまり、マイク二本をどのように配置して録るかを考えます。ステレオ録音のセオリーというのがあって、XYとかMSとかORTFとか色々あるのですが、それらは基本的にクラシック音楽の録音を前提としています。当然クラシックを録るのと自然音、環境音を録るのとでは違います。なのでそこは必ずしもセオリーに従わなくても目的とする音さえ録れればいいわけで、色々実験的にやってみるのもいいんじゃないかと思っています。

ー質問#1 レコーディング中に視聴者にどんな環境や状況で聴いて欲しいという想定はされるのですか?

そうですね。僕は、ほとんどが無指向性のマイクを使用してAB録音を行うので、スピーカーでもヘッドフォンでもどちらでもよいかと思います。スピーカーで細かい音まで聞き取れるような音を出すには、相当良いスピーカーと音量が出せる環境が必要になるので、ヘッドフォンで聴いてもらうというのが一番伝わりやすいと思います。ただし千円くらいの付属イヤホンで十分わかるかというとちょっと厳しいところがあるんですよね。再生環境や自分の体調を整えて、集中できる環境を作って聴くということを一回でも体験したら違いがわかると思います。

ここから実際に僕が録った音を聴いてもらおうと思います。最初に聞いてもらうのが、バナ族のイースター祭礼で、ベトナム中部高原に初めて行った2006年、最初に現地でちゃんと録音したものですね。イースター祭礼と言うと、ヨーロッパの様に聞こえるかもしれませんが、バナ族ってカトリック信仰なんですね。歴史的なことを説明すると、19世紀中頃からフランスのカトリック宣教師がこのベトナム中部高原に入って教会とかを作って布教したんですね。その影響もあって、今ではバナ族の多くはカトリックで、その教会の祭礼なんですけれども、その中でゴングのような土着の儀礼・祭礼で用いられてきた伝統的な楽器を演奏する様になって、だからミックスされているんです。いわゆる西洋のオルガンと伝統的な楽器、それも1つの面白い特徴なんですね。このときはDPA4060という米粒ぐらいの小さなマイクを手持ちして、僕自身が三脚になるような感じで、身じろぎせず、両腕を固定させて録音しました。このマイクのメリットは、すぐに録音が始められるという点です。

試聴(バナ族のイースター祭礼)

ー質問#2 マイクが小さいと拾える音域が狭い様に思えるのですが。

それは関係ないでしょうね。カプセル自体がすごく小さく、振動してこれを電気信号に変換します。このマイクは、もともとステージパフォーマンス用のマイクだと思いますが、単純にとても小さいので持ち運びが容易で、汗にも強いのでフィールドでちょっと濡れたりとか雨にかかるくらいは問題無く、ケーブルもとても細いのに堅牢で多少雑に扱っても問題ないところがよいです。基本的にコンデンサーマイクはすごく繊細で湿度に弱いため、水につかっても乾かせば問題無いというマイクというのはほとんどありません。これは軽いし音も良く、サウンドアーティストの間でも有名なマイクです。あとは人間の頭なんかが入らない小さな穴とかに突っ込んで録れるっていうのが僕はすごく好きです。排水溝の音なんかも外から聞くのと中にマイクを突っ込んで聞くのでは全然違うんです。

ー質問#3 耳の付近まで持ってくればバイノーラル録音が出来ますね。

そうですね。普通のマイクだとXLRのコネクターケーブルが別に必要ですが、あれは重いし、レコーダーもハンディレコーダーはプラグインパワーしか供給できない。これ(ハンディレコーダー)で使えるマイクで質がいいやつってあまりないんですよ。超シンプルなマイクと小さいレコーダーだけでどこでも録音できるんで、これで必要十分というか、音質的には当然もっとでかいマイクの方がいいですけれども、すぐにセッティングできるのは重要ですね。

次に聴いていただくのはゴング合奏です。僕がメインで調査研究をしているのがこのゴング文化です。

試聴(複数人が列となり、様々な大きさのゴングを鳴らしながら練り歩く)

これは実際の儀礼ではなくて、撮影用に演奏してもらったものです。例えば、実際の儀礼では儀礼柱とか霊廟の周りを輪になって反時計回りに踊りながら、精霊や神とコミュニケーションをとるために中心に向かって演奏します。外側からでは精霊が聞く音が録れないので中央にダミーヘッドを設置し、バイノーラル録音をしました。バイノーラル録音はステレオ録音の一種で、人間の頭を模したマネキンの両耳に無指向性マイクをつけて録音するのですが、ヘッドフォンで聴くととても臨場感のある音が聞こえます。

試聴(ゴング演奏)

次もゴング演奏ですけれども、今度は集会場の内部で葬式の曲を演奏してもらい録ったものになります。村の人にとって葬式の曲は、その旋律を聞くと葬式とわかり集合する習慣がある為、本当は葬式以外では演奏しないのですが、特別に演奏してもらいました。この辺りは戦争や違法伐採、プランテーション化などの影響で、大きな木はもうほとんど残っていなくて、隣国のラオスの木材を国境から入れて、それで家具とか商品を作っているような状況です。木材が無いと儀礼や祭礼が成り立ちません。土着の音楽とか儀礼、祭礼を維持するにはまさに生態環境を持しないといけないんですが、森林が減り危機的な状況になっている為に、霊廟や集会所も一部人工的な素材に変わってきています。

試聴(葬式の曲)

この様にミニマルなメロディーの繰り返しなんですが、ゴングは色々な儀礼、祭礼で演奏されています。なかでも葬式の曲は特にバリエーションが多く、一晩中色々な曲(旋律)を奏でるんですね。村の男がゴングを演奏するんですが、昼間は農作業している人が儀礼とかになると演奏者になるんです。演奏中に疲れたら別の人に交替しながら一晩中演奏を行います。各演奏者が一人一枚のゴングを異なるタイミングで入れ子式に叩く演奏方法なので、タイミングがすごく重要で、一人でも間違えるとメロディーが奏でられなくなったりと、実はすごく繊細な演奏形態でなんです。各奏者が一定以上の演奏レベルを持っていないとすぐに破綻してしまいます。

次もまたゴング演奏ですけれども、今度は本当の儀礼の様子を映像でお見せします。これはジャライ族の墓放棄祭といって、墓を放棄する儀礼です。死者が埋葬されて何年か経て墓放棄祭をしてはじめて魂があの世に行く、なのでこの墓放棄祭をしないと魂はずっと生者の世界に漂い、色々な悪さや災いを起こすと言われています。ですので、この墓放棄祭がジャライの人にとって一番重要でとても盛大に行われる儀礼です。祭を行う村だけでなく、近隣の村などからもゴング演奏グループがやって来て、競う様に演奏を行います。霊廟に捧げられた牛は全部供犠されて、このように精霊に捧げられます。その様子を撮影し、墓放棄祭のドキュメンタリーを作りました。これはエストニアの映画祭や台湾とかでも上映してもらったのですが、この様に映像でも記録表現というものをしています。

試聴(ジャライ族の墓放棄祭)

ゴングを叩いた後に左手で音を止めているのがわかりますか。あれが重要で他のゴング音と混ざらない様にしています。霊廟には複数の遺体が埋葬されていて、同じ家族とか親戚が合同で行い、村中の人が参加して死者の魂をあの世に送り届けます。その時にゴング演奏が非常に重要な役割を果たしているのです。

ー質問#4 この村人たちは一曲一曲記憶して演奏しているんですか?

そうですね。記憶しないと演奏ができない。アドリブでしているわけではなく、次にこれをやるという感じである程度共有されています。

ー質問#5 自分が持つゴングの大きさや演奏する音というのは決まっているんですか?

大体役割は決まっているみたいです。例えば、直径の大きい突起ゴングは、とても重いので若い人がやることが多く、コブが無い平ゴングがメロディーを奏でるのですが。これは年長者が行うことが多いです。平ゴングは旋律をきちんと理解していなければ叩けないので難しい。ある程度上手い人は複数の別のゴングも叩ける場合が多いみたいです。

ー質問#6 いつ頃からゴングはあるんですか?

まだはっきりとしたことはわかっていないのですが、1000〜2000年前からということもあるかもしれないし、数百年前かもしれないし、考古学的なものではゴング自体はすくなくとも紀元前位のレベルで作られていたということが分かっています。

ー質問#7 このような文化の伝承はどういう風にされているんですか?

楽譜があるわけでは無いので、年長者が若い人に教えている感じですね。教会には楽譜がある様ですが、ゴング演奏に関しては楽譜なんてないですし、そもそもドレミファソラシドがわからない。そういう教育を受けていないので、小学校に入る位の小さい頃から練習しているようです。ゴングは誰が所有しているかということは、村によって違うんですが、村の共有財のような形で集会所の様なところに保管されていたり、バナ族だと教会の力が強いので教会で所有している場合があります。あとは個人の財産でもあり、昔は威信財のような形で、持っている人は村の中でも発言力があったり、権力の象徴でもあった様です。現在は数でいうと個人所有が多いですね。なので葬式とかになると無償で貸し出し、皆で共有して使います。

次に「クロンプット」という、奏者が楽器に一切触れないで演奏するという変わった楽器を紹介します。演奏方法は拍手をする様に両掌を丸く合わせて竹の筒に空気を送りこんで音を出します。演奏方法も、先ほどのゴングみたいに複数の演奏者が異なるタイミングで音を出す事によって全体としてリズムや旋律を生み出します。

試聴(セダン族のクロンプットの演奏)

実は伝説の楽器で、文献にしか載っていなかった楽器です。今年の8月に他の楽器の調査をしていて、この楽器を復興させようとしている人たちにたまたま出会えて録音させてもらったものです。こういう出会いがフィールドワークの醍醐味です。

ー質問#8 竹の筒で両方が空いているわけですよね?ベースとなる左側の女性が表の拍を出し、横にいた男性がそれを分割する役割なのでしょうか?

分析がまだ出来ていないのですが、多分その様に思えます。竹の内部の節が抜かれて底の節で閉じられており、空気を送ると内部で反響してあの様なこもった音
が出ます。竹の太さ自体は全部同じなので、長さで音程を変えているようです。これも組み合わせで何パターンもあり、ゴング演奏と同じ様に各儀礼・祭礼に対応しているそうです。この録音はビデオのマイクです。最近ではビデオの内蔵マイクも質が上がっていて、別録りしなくてもこの様な比較的に周波数帯域が狭い音楽に関しては録りやすいです。ただゴングとかは難しいです。あれはすごい低域から高域まで周波数の帯域が広いので、ビデオカメラで録っても下っ腹に響く様な低音は全然録れないし、対象によって違うんですね。

次に聞いていただくのが、2006年3月にバナ族の村に初めて行って、先ほどのミニチュアマイクを使って録音したものです。彼は村の楽士みたいな人で、ベトナム戦争の直後、子供のころに爆弾が破裂して盲目になったそうです。

試聴(バナ族男性の歌)

非常に美声だったので、もう一回ちゃんと録音しようと思って2015年にもう一度彼を訪ねたんです。そしたらもう忘れてしまって歌えなくなってしまっていて、それで(2006年の録音を)聴かせたらすごく懐かしがってくれて思い出してもう一回歌ってくれたんですけれども、声もやっぱりかわっちゃっていて。やっぱり録音ってその時限りのもので、その時の音はその時にしか録れない。勿論僕以外の誰も録っていないですし、これだけの素晴らしい曲が失われていた可能性があるということを考えると録音できて本当によかったなぁと思います。

ー質問#9 個人単位でも10年位で消えるんだったら、集団で長くなるとかなりのものが失われてしまいますよね。

そうですね。地域全体でいったらこの10年でかなりの音楽が失われて、結局だれも録音や映像できちんと残していない。研究者もこの地域にはほとんど入っていないので。それで僕は長く関わっている以上使命としてなるべく多く記録したい。実際のところ、それが一番のモチベーションとなっていて、研究者として論文でどうこうするよりも、今ある文化をきちんと録音や撮影で残す方にやりがいを感じます。研究ってそこまで求められず、自分の論文や研究で使える程度の録音や撮影というものが多いと思うんですけれども、僕はなるべくそこを機材とかもちゃんとこだわって、50年、100年後の人も聴けるレベルのものは残したいと思ってやっています。

儀礼なんかでも、僕みたいな外部者が撮影をさせてもらって作品にさせてもらえるのは、やっぱり彼等も記録の重要性をわかっているからなんです。制作した映像作品とかを見せると喜んでもらえるので映像を見せることももちろんあるんですけど、録音をした音をヘッドフォンで聞かせると実際に生で聴くのよりもすごい音だとびっくりしてくれることも多いですね。

それでは、今度は竹筒琴といって弦楽器ですね。

試聴(竹筒琴とゴングの演奏)

ティンニンといって、バナ族やこの辺りの少数民族の楽器としては非常にポピュラーな楽器で、竹筒に弦が張ってあり、丸い部分がひょうたんを使っていてここがレゾネーターといって音を反響させて増幅させています。基本的には全部天然素材で、もともとは弦も植物の繊維を使っていたのですが、今では天然素材が手に入らなくなって自転車のブレーキのワイヤーを使って弦を作っています。これはひょうたんの共鳴体が壊れてしまって、代わりにブリキの容器を使っている竹筒琴です。音の響きがメタリックになって全然違います。それまで使っていたものが手に入らないと、その場にある何か別のものを使って演奏する、ブリコラージュというか、身の回りのあらゆるものを使って再創造をしているところがすごく面白いと思います。

今、紹介してきた録音なんですが今月に、アメリカのSublime FrequenciesというレーベルからLPでリリースさせていただく事になりました。

ここから自然・環境音の録音について話をさせて頂きます。最初に紹介するのが、三浦半島の突端にある城ヶ島の船着場の音です。笹島裕樹さんというサウンドアーティストの方と共同で作品を作ろうということになって、二人で何度か島に通って島のいろんな音を録音してVery Quiet RecordsというレーベルからCDとしてリリースしました。

試聴(城ヶ島の船着き場の音)

これは僕が言うのもなんですが、すごく音が立体的に聴こえてきて、いい録音だなぁと気に入っています。

次が南大東島になります。沖縄の東400キロに位置するサンゴ礁が海底から隆起してできた離島で、人が住み始めてからまだ100年ちょっとです。初めは八丈島からの開拓者が、その後沖縄本島から移民が入って、現在は両方の食や文化が混じり合っていて面白いところです。生態系はダイトウオオコウモリやダイトウコノハズクとか大東独自の固有種がいて、大東太鼓や全国的にも有名なボロジノ娘という民謡グループもあって芸能も盛んです。

もともと南大東島に関わりの深い岩田茉莉江さんという方と一緒に島の音を調査、録音して作品を作ろうということになって、今年の3月と9月に島に滞在して島の様々な音を録り、さらに地元の人達に録った音について聞き取りを行いました。サトウキビ畑をかき分けて入っていくと、巨大な鍾乳洞の入り口が畑の中にあって、中は真っ暗で湿度も非常に高いんですが、泥まみれになって入っていくと、奥に海底とつながる素晴らしい地底湖があります。その地底湖の音を水中マイクを使って録りました。

試聴(地底湖の水中の音)

水中マイクのケーブルの長さが15mくらい、録った場所は多分水深7~8m位ですね。この音は地底から酸素等がぽこぽこ上がってくる音や、鐘乳石から水が水面や鍾乳石に垂れて生じる音が合わさっています。

次に紹介するのがオヒルギ群落という湿地林みたいな所で日中の音と夜間の音を録りました。夜間は早朝の鳥の声なんかを録る為にマイクを三脚に設置して夜の間放置し、雨が降る場合を考えて木の上に傘を乗せてマイクが濡れない様にして録りました。オオコウモリがやってきて鳴くシーンを聞いて下さい。

試聴(大きな羽音や甲高い鳴き声)

オオコウモリは翼を広げると大きいもので1m位。コウモリというよりも鳥ですね。警戒したのか結構激しく鳴いていますね。ダイトウオオコウモリは大体300匹程度しかいないので、貴重な音が録れたのではないかと思っています。

ー質問#10 今後沖縄でフィールドレコーディングをされて、どのようなところにスポットを当てて、残していくものとそこから世に出して社会的に求める意義というのはどの様にお考えでしょうか?

沖縄といっても南大東島って本島から離れたところでちょっと特殊な場所だと思うんですよね。でも、やっぱり島の歴史みたいなものと音っていうのは大きく関わっていて、昔はシュガートレインっていうサトウキビを運搬する汽車が島中を走っていて、その時の音をお年寄りは覚えているんです。その島の記憶みたいなものに興味があって、そういうのを映像でもちゃんと語っているところを撮らしてもらって聞き取りの記録を残していく。単に外部者として面白い音を集めてCDを作るのと、そういう島の人の語りを入れて作るのはだいぶ違うと思っていて、やっぱり後で島の人に聴いてもらうということも目的にしたプロジェクトなので、なるべく多くの人に話を聴いて、地域に住む人がどういう風にそれらの音を捉えているか聞いていくところが後世に残すって意味で重要になってくると思うんです。必ずしも音のメタデータに映像が入らないこともないと僕は思っていて、その音にまつわるいろんなエピソードなんかも重要なメタデータになってきますね。

ー質問#11 島の人にインタビューをして、それを島の人に返すっていうことも入っている、録音を編集してフィードバックする、それがすごく面白いと思うんですよね。録音したものっていうのはひとつの鏡の役目をして自分たちがどのように感じるのかを考えさせることになりますよね。リレーショナル・リスニングと言われる概念がありますが、「聴く」ということは関係性を作っていくことでもあり、その時に音の役割っていうものがすごく重要だと思います。なぜ映像では無いのか、ということも含めて興味深い問題です。音の可能性みたいなものを、どのように考えていらっしゃいますか?

そうですね、記録の方法でまず映像で録るのと音だけ録るのとで違いますよね。感覚的なところもあるんですけれど、映像っていうのはフレームがあってその範囲の中でしか撮れない一方で、(指向性にもよるが)音っていうのは360度の指向性が担保される。そこの違いが結構大きいんじゃないかなと思っているところはありますね。

ー質問#12 記憶との関連性みたいなところではどうでしょうか?音の方が柔軟っていうか、視覚ほど縛られていない記憶との結びつき方がされているというか。そういう記憶のトリガーになり得ますか?

やっぱり映像って良くも悪くも写っているものの力が強いっていうか、写っているものの何かから全く別のものを想起するってことはあまりないと思うんですよね。もちろん見る人によってそこから受けとる意味とかは違うんですけれども。でも音ってそういう意味ではもっと広がりがあるというか、そこの違いは確かにありますね。ある意味とても曖昧なんですよね。曖昧だからこそ良さがあるというか、逆に勘違いすることもありますよね。説明をせずに聞かせると、実際の内容とは全然違うことを想像して聴く人もいるんですけども、間違いとかそういうことではなくてそれも1つの良さだったりするんじゃないかと。映像だとそれが起こりづらい、そういう気がします。

ー質問#13 音にメタ的なデータを付加していくっていう時に、得られる手掛かりというものが、何か確定的じゃないんですよね。そこに面白さがあるのかもしれませんね?

録音をした僕自身も、聴くたびに変わっていくんです。やっぱり忘れますし、その辺の曖昧さというか、映像はそれがやっぱり固定化されているというか。次に紹介するのがUltrasonicScapesといって、人間に聴こえない超音波をバットディテクターという超音波をリアルタイムに可聴域に変換する装置を使って、都市の色々な超高周波ノイズを録り作品を作ったというものです。超音波というと、コウモリが有名ですが、実は街の様々な機械や照明、雑踏などからも超音波が出ていて、そうした人間の知覚外の振動に焦点をあてて作品を作りました。映像作品と音の作品と両方作ったんですが、映像作品の方を見て頂きます。

試聴(セミ・駐車場・風鈴等の高周波)

これは蝉の超音波をリアルタイムに拾って使っています。またこれは駐車場の入り口にある遮断機付近から断続的な音がずっとでていて、多分ネズミよけの超音波を拾っているんではないかと思うんですけれども、テクノミュージックっぽい揺らいだリズムの音がします。

これはコウモリの音を京都の三条大橋付近で録りました。本来の目的はバットディテクターという名前からもわかるようにコウモリの出す超音波を聞くものなんです。

次に紹介するのがエオリアンハープです。今日持って来ましたが、楽器というか自然の風が弦に当たって弦が共振することで音が出る仕組みになっています。なので人間が演奏するのではなくて、自然の力で奏でる。これも伝説の楽器みたいになっていて、実際にはほとんどもう使われていません。歴史的なことを調べたら、18世紀頃はドイツの一般家庭でも設置されていて、窓を開けて風が入ると音が鳴るという日本の風鈴の様な形で普及していたらしいのですが、ピアノを始めとした人間が完全にコントロールする楽器が普及すると共に、こういうものが急速に無くなったようです。たまたまYouTubeで動画を見つけて、自分でも作ってみたくなって、ホームセンターで木材とかの材料を買って、弦の種類も知り合いで作った事がある人に聞いて自作しました。

最初は全然鳴らなかったのですが、風向きとか、角度とか、弦の締め付け具合とかいろいろ調整して、やっと音が鳴りました。一回なると嬉しくて色々な場所へ持っていって録音しました。海岸は風が強いので特に鳴りやすいようです。この音は兵庫県の成ヶ島の海岸で録りました。

試聴(エオリアンハープと海岸の音)

先ほどのミニチュアマイクをハープ本体の丸い穴2つそれぞれに入れてステレオで録っています。それの利点は風の影響をほとんど受けないということです。これで弦の共振、フィードバック音をクリアに録ることが出来ました。この音は電線が風の強い日に鳴りますが、あれと同じ原理らしいです。エオリアンハープの音を録る時には、ハープの音だけを録るというよりも色々な環境音等も一緒にこうして録れてしまうところがすごい面白く、だから様々な土地に持って行きその土地ごとの音を録ります。この音には何段階かあって、単調なのが続いてビブラートみたいなものがかかったりとか、風の強さや向き、弦の種類とか太さとか色んな要素で結構変化するようです。

エオリアンハープを使ってみて考えたことなんですが、風というものを可聴化する装置ということで、水の音なんかもそうなんですけれども、それ自体の音が鳴っているのではなくて、それが何かにぶつかって音が鳴るわけです。エオリアンハープを通すと耳で聞くのとはまた全然違った音響が風の音として聞こえる。

あとは通常の音楽というものが、楽器(モノ)と人の関係性から生まれるのであれば、これは楽器と自然環境との相互作用で音が生まれるというところが違うのかなと思います。これはいわゆる発音体、音を出すものであり、風を変換する装置であり、かつ周囲の音を集める機能もあって、さらに集めた音を弦を通して変調させる、そういう装置でもあり、一台で色んな役割があるんだなぁとわかってきました。

これを持って色々な所に行くと、普段全然気にしない風の通り道だとかに気付きます。風ってどこでも吹いているわけではなくて、よく通るところと通らないところがあって、周囲の環境とか地形の変化に意識的になって、その発見も面白いです。

最後に、今後の展望ですが、まずベトナムで録ってきた映像・録音資料が数百時間とかなりあって、それらを僕の研究だけではなくて、もっとソースコミュニティーの人たちだとか、一般社会の人にも視聴してもらえないかということを考えています。実は個人の研究者が記録した映像音響資料というものをどう保存して活用するかということが民族音楽学等の分野で大きなトピックになっており、僕もそこに何か活用の方法がないかと探っています。まずはウェブ上にサイトを作って、著作権等をクリアしたものに関しては公開する様なことも考えています。フィールドワークにおける映像音響メディアの活用の方法論という点でも、映像メディアの活用については多くの人が本に書いたりしていますが、音はまだ全然無いのが実情です。

音はどうしても映像に対して主従じゃないですけれども、弱いというか注目されていないのですが、でも音には音なりの力・活用方法があると思うんで、その辺りの方法論を理論化したいなと考えているところです。その時にサウンドアーカイブとかも関係してくると思います。僕はサウンドアーカイブには興味があり、だから自分の録音をもうちょっと整理してアーカイブとかでも活用してもらう方向を考えています。

ー質問#14 公開するにあたり、記録するフォーマットやデジタル形式、どういうメタデータをつけていくかを揃えていく必要があると思うのですが。

そうですね。共通のフォーマットみたいのはある程度あるとはおもいます。大英図書館のアーカイブを調べてデータベースの使い方だったり、これは重要というのはあるんですけれども。基本的には機関・組織のアーカイブで、個人のアーカイブというものはこれまであまりなかったので、どういう風にアーカイブしていくとか、どういうメタデータが必要なのかとかこれから議論されていくと思います。

あとは先ほどの南大東島プロジェクトで録音した音をCDで出版することを考えています。以上で終わらせて頂きます。本日は、ありがとうございました。