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2018.10.27
狩猟採集民と動物とアート

山口未花子( 文化人類学者)

岐阜大学の地域科学部で助教をしております、山口未花子と申します。専攻は文化人類学で、カナダの先住民族の生活を調査研究の対象としています。岐阜でも自分で狩猟をしたり、実践的な研究をしています。 今日のタイトルは「狩猟採集民と動物とアート」としていますが、実は私の調査地では芸術とかアートというものがあまり多くない、と言われています。しかし一方で「アートとはなにか?表現するということはなにか?」を問うとき、その初限的なもの、本質的なものを考えるのにはとても良い材料になるのではないか、ということと、すぐ隣の民族には豊かな芸術文化があり、この2つを比較してみると面白いのではないかということでこのようなタイトルでお話ししようと思います。

狩猟採集民のおもしろさ

私は、人間の最古の生活形態である狩猟採集の伝統を受け継ぐ人たちの研究をしていますが、今、世界では狩猟採集によって生活をしている人々はほとんどいないと言われています。また、狩猟採集というものが人間の生活にとってそれほど重要ではないんじゃないかという考えもあるかもしれません。一方で、人類の歴史の中で「生業」というものを見れば、20万年前にホモ・サピエンスが生まれてから1万年前までは、人類の全ては狩猟採集によって生活をしており、われわれは人類史の99.8%を狩猟採集民として暮らしてきたことになります。

このことは、「ホモ・サピエンスという生物学的種の基本的な特質は、悠久たる狩猟採集生活のなかで育まれ確立されてきたといえる」と、京都大学の菅原和孝先生というブッシュマンの研究をされてきた方が言う通り、人間のからだやこころは狩猟採集民として形成され、それはたった1万年では変わらないものだから、わたしたちは本質的に狩猟採集民であると考えることができるのではないだろうか。もちろん、いろいろな文化や多様性をもつのも人間らしさなのですが、狩猟採集生活がどういうものかを明らかにすることが人間の本質的な姿を知ることになり、特に、彼らと自然との密接な関係は欠かせない研究対象になります。そこからどのように宗教や文化が生成するのかを明らかにすることが、芸術とはなにかを考えることにつながるのだと思います。

狩猟採集民の特徴

狩猟採集民が文化人類学的にどのように定義づけられているかお話します。狩猟採集民はそれぞれの地域、環境によっていろんな特徴や文化をもっていますが、とても離れた環境に暮らす北極のイヌイットやアフリカのブッシュマンを比較しても、いくつかの共通する特徴があります。

移住—定住せずに季節に合わせて移動すること。

バンドー集団の規模が小さいこと。これは他の類人猿の脳と比較したとき、人間の前頭葉の大きさだと、自分が身内だと思える集団の数は大体200人ぐらいだと言われています。親族を中心として数十人規模の小集団を基礎として離合集散し、たとえばお祭りなどのときに最大200人ぐらいの社会をつくっているのです。つまり、人間の脳のキャパシティを超えた社会をつくらない。

平等主義—上下関係のない、ジェネラリストの社会。みんなが何でもできる社会です。衣服も住居も何でも自分でつくります。男女の上下関係もあまりないところが多いのですが、分業は明確にあります。

分配—例えば、肉があったら誰でも勝手にとって食べる。そもそも所有の概念がないから、取ったり取られたりという感覚がない。

狩猟採集民にとってのアートとは?

「アート」という言葉についてですが、そもそもなにをもってアートと言うのか、なかなか定義が難しいと思いますが、西洋文化におけるアートの括りとしては、美術館に展示されたりとか、なにか価値を計れるものとしてあるのかなと思います。しかしここでは、アートの定義について考えるのではなく、そもそもアートというものがどんなところから来ているのかについて話をしたいと思います。

(スライドを見せながら)これはラスコーの洞窟画ですが、人間は、人間になった時点でアートをもっていたということがよく言われています。人間、つまりホモ・サピエンスになった時点、と言っても、ホモ・サピエンスが生まれて数万年ぐらい経ってから、最近では、南アフリカのブロンボス洞窟というところで推定七万三千年前に抽象的、象徴的なものが描かれていたという証拠が発見されています。

アートというものが何なのかということに関わりますが、考古学者たちは象徴的な表現というものをアートとして判断しています。では、象徴的な表現がなぜ起こるのか。それは人間の脳の構造と関わりがあるのではないかと言われています。七、八万年前ぐらいから人間に抽象的概念を操る能力が芽生え、宗教や、脳の容量を超えた人数の集団をもてるようになった。これは心の理論と呼ばれていますが、人間が目に見えないものや、身体的に感知できないものを捉えられるようになった。宗教や芸術というものは、人間が象徴的なものを考え、把握し、共有できる能力をもったときに発生せずにはいられなかった、必然的に溢れ出てきたのではないかと思われます。

幼児の直観的知識

このように考古学遺跡からだけではなく、わたしたちが本質的に狩猟採集民であるということは、子供の発達をみてもよくわかります。昔は、子供は白紙の状態(タブラ・ラサ)で生まれ、教育によって人間になる、というように考えられてきましたが、現在ではそれは否定されています。人間は生まれたときから学習し易い、理解し易い領域をもって生まれてくると考えられています。S.ミズンという認知心理学者によれば、それがこの4つの領域「言語」「物理」「心理」「生物」となります。例えば、わたしたちが生まれながらに生物に興味をもっていることは、狩猟採集という様式において必要なものであり、わたしたちが狩猟採集民であったという査証でもあります。わたしたちは象徴的なものを扱えると同時に自然に対する関心をもっているのです。

そういうことから考えると、狩猟採集民にとってのアートとは、象徴的な表現ではあるけれどもそれは自然に関するものになると考えられるのではないか。また一方で、狩猟採集民にとっては、アートはなにかを表現したり表象するだけではなくて、たとえば狩猟の技術のような、生活と切り離されない実際的なものとして存在するのではないか。ここではアートというものを造形芸術や視覚的な芸術、音楽や物語などの言語芸術も含めて話をしていきたいと思います。

トーテミズムとアニミズム

ここで特に拠り所としたいのは、イギリスの人類学者であるティム・インゴルドの”Totemism, animism and the depiction of animals”(=「動物の描写とトーテミズムとアニミズム」)という論文です。彼はこの中で、歴史を通じて、世界中の文化において、動物は常に芸術表現のキートピックであること、人間と動物と土地の間の関係の理解の方法としてのアートがあること、さらに狩猟採集民にとってのアートはお金に換える性質のものではないということ、を挙げています。

さらに、この三つの特徴があって終わりではく、その中にいくつかのアートの形態があります。それがトーテミズム的なアートとアニミズム的なアートになります。トーテミズム的なアートというのは、例えばトリンギット族であれば、いくつかの「クラン」という小集団に分かれ、それぞれがワシとかビーバーとかクマのような象徴的な動物をもっていますし、(オーストラリアの)アボリジニであれば、雷とか風とかまでが象徴になる集団があります。アボリジニを例にとってトーテミズムというものを考えてみると、それが「本質的」なものであることがわかります。生まれながらにトカゲのトーテムをもっていれば、その人は人生を通してトカゲであり続けることになります。つまり「生命の形は所与のものであり、容姿、触感、輪郭の中に永続的に凝固している」のです。そしてアボリジニによる表現は抽象的な絵画によるものが多いと言われています。 では一方で、アニミズム的なアートとはどういうものか。これは狩猟採集民の世界観として一般的なものですが、つまり、いろんなものには「スピリット」がある、という考え方です。人間以外のもの、生物以外のものも含めてあらゆるものが精神とか魂をもっていると考えます。これはアボリジニのトーテミズムと比べれば「対話的」であり、「生命力は・・・風のように自由な流れであり、生きている世界の連続性はその巡りを妨げられることはない」のです。インゴルドによると、北米の狩猟採集民、例えばイヌイットのアートには彫刻が多いと言われています。

さて、私はカナダで伝統的な狩猟採集民の伝統を受け継ぐ先住民、カスカ族と内陸トリンギット族の調査をしてきたのですが、このインゴルドの理論を引用しながら、彼らがどのようなアートをもっているのか、あるいはなぜ、どのようにアートをつくるのかを考えることができるのではないかと思いました。カスカと内陸トリンギットという集団は隣同士で暮らしていて、同じ環境で、ほとんど同じ生業をもっていますが、ところが芸術文化においては非常に異なっています。カスカはアニミズム、内陸トリンギットにおいてはトーテミズムの要素が見られます。今回は、この2つの集団を比較しながら考えていきたいと思います。

カスカの生活

カスカも内陸トリンギットも、カナダのユーコン準州というところで暮らしてきた先住民族です。ユーコン準州は日本の1.3倍の面積になりますが、3万6千人の人口しかなく、そのほとんどは州都であるホワイトホースに暮らしています。カスカの人たちはワトソンレイク地域に暮らしていて人口約千人中の約半数が先住民となります。彼らは北方に暮らしていることで物価も高く、現金の獲得も困難であるため、多様な自然資源を利用しています。その大半を占めるのは野生の哺乳動物となりますが、その中でもヘラジカは重要な食べ物であり、カスカの狩猟民は8月から9月にかけて1〜2頭捕獲し、冷凍したり干し肉にして保存します。冬になると罠猟を行い、オオカミやテン、ウサギや(毛皮も得られる)ビーバー、カナダオオヤマネコを捕獲します。テンなどは1匹100ドル(約一万円)ぐらいで売れる年もあるので、運が良ければ一冬で相当な金額を稼ぐこともできます。ヘラジカは肉だけではなく、いろんな部位も利用します。骨はスクレイパーとして使ったり、皮もなめして利用します。

カスカの人たちは、このような動物の利用を「殺す」とか言ったりはしません。彼らは狩猟というものは動物から贈与されている、と考えます。(写真の)おじいちゃんが持っているものは、(狩猟した)ヘラジカの気管の部分です。これを木の枝にぶら下げておくと、風がこの気管を吹き抜け、そこに宿っている魂が生き返り、ヘラジカが再生すると考えているのです。彼らはヘラジカを狩猟するときこの儀礼をかならず行います。あるいは、彼らはメディスン・アニマルという、守護動物のようなものを個々がもっています。例えばライチョウをメディスン・アニマルにもった人は、森のトレイルでライチョウと出くわし、ついていくと必ずヘラジカに出会ったりする。あるいはクマやオオカミがメディスン・アニマルの人もいる。私がお世話になった方のおばあちゃんは、メディシン・アニマルが宿る巣箱をもっていて、そこに悩みを語りかけたり話をすることができました。このように人それぞれが、様々な関係で個々のメディスン・アニマルをもっていて、中には悪いメディスン・アニマルもいたりするのですが、なにか神様というよりは友達のような関係なのです。つまりカスカにとって動物とは、考えやことばをもつ存在であり、パートナーであると言えるのです。

カスカのアート

そのような生活をしているカスカですが、彼らのアートは、太鼓やビーズ刺繍のヘラジカの革製品であったり、彫刻や絵画、とくに絵画においては現代の北米文化の商業的な影響が見られるものもあります。このようにヴィジュアル的なアートというものが非常に少ない一方で、彼らの中で非常に豊かなのが、音楽とか物語です。中でも物語には、動物に関するものが非常に多く、その中には例えば動物と結婚したり、祖先が動物になってしまったといったものもあります。このように動物に対する働きかけや、動物との関係の由来を後世に伝え、動物とのつながりを維持するための物語が彼らにとってのアートということができると思います。

内陸トリンギット

内陸トリンギットは、もともと海岸沿いに分布していた人たちなのですが、カスカと混血してできた集団で、生業は狩猟採集に漁労、交易になります。彼らは18世紀に進出してきたヨーロッパ系の人々と内陸部の先住民との毛皮交易の仲買人としての地位を独占しながら内陸部へ進出し、ターギッシュやカスカの自然環境に合わせた技術を学びつつ、トリンギット由来の習慣は維持するという混成的な独自の文化をつくりだしていきました。いくつかある集団のうちのテスリン・トリンギットという集団の800人のメンバーは、カラスとかオオカミとかカエルとかビーバーとかワシとかなどの動物に象徴されるクラン(集団)のどこかに所属し、このクランは母親から子供に継がれていきます。また400人のメンバーをもつタクリバーという集団では、カラス族とオオカミ族という半族に分かれ、同じ半族同士の婚姻ができなかったり、互助的に冠婚葬祭がとりおこなわれたりします。

内陸トリンギットのアート

このような内陸トリンギットの人たちのアートは、カスカの人たちとは大変異なります。絵画も彫刻も盛んに作られています。彫刻と言えばトーテムポールですが、実際はストーリーポールと呼ばれ、現在の私たちの祖先がどのように動物に助けられながらこの地に定着し、クランをつくっていったかを表象しています。その他にもクランの動物を表したクランポールとか、人がなくなったときの墓標としてつくられるトーテムポールもあります。トリンギットでは人が被る仮面もよく作られますし、頭から足の先まで派手な衣装に覆われています。革製品ももちろん多く、カスカの人たちのものと比べ、非常に手の混んだものをつくっています。さらに物語を表す歌と踊りやなどのパフォーマンスも盛んに行われています。

この中で私がとくに面白いと思ったものは、彼らが身につけている装飾品の数々です。内陸トリンギットの人たちはこれらを「レガリア」と呼びます。「レガリア」というのは宝物という意味なのですが、これは儀礼のときに身につけるもので、使わないときは大事にしまっておきます。面白いのは、このレガリアは、自分でつくったり買ったりしたものは自分で身につけることが出来ないんです。身につけることが出来るレガリアは必ず、誰かから贈られたものです。そしてそこに表されるものはクラン(集団の)動物の模様になりますが、その背後にはそれぞれのストーリーがあります。つまり、レガリアは、クラン動物を表したものでもあるし、それよりもっと大事なのは人間関係を顕在化したものであるということです。ほとんどの子どもたちはレガリアを持っていませんが、彼らが高校を卒業する頃に、ブランケットなどが親族によってつくられ、卒業式で身につけます。その後、少しずつ人間関係が増えていく中で、レガリアも増えていきます。頭から足の先まで身を覆うほどのレガリアをもつことは、トリンギットの中で自分の居場所がある、人間関係がこれほどあるということを見せている、ということになります。レガリアは、カスカにおいて動物から肉をもらってもそれをお金にすることがないように、お金でやり取りするということがありません。そこに初源的なアートの本質が表れているのではないかと思います。

このように考えると、内陸トリンギットのアートには、カスカと同じ狩猟採集民としてのアニミズム的な要素が見られるものの、クランや紋章などについては、生まれたときから特定の動物を象徴的にもつトーテミズム的要素が見られます。そこにカスカと内陸トリンギットの世界観や社会構造の違いが表れるのではないかと思います。内陸トリンギットにとっては人間関係というものがとても大事で、彼らが海沿いから内陸に移動しても「トリンギット」でいられるというのは、そのような社会システムによって人間関係というものを維持してきたということだろうと思います。内陸トリンギットのアートにおいては、ある人間集団が別の人間集団に見せるものとして非常に抽象的なものが多い、という特徴があるのかなと思っています。それについてはまだ研究がはじまったばかりなので、今後考えていきたいと思います。今日のお話はこれで終わります。