これからの創造のためのプラットフォーム

2015.11.07
石徹白の小水力発電

平野彰秀(NPO法人地域再生機構副理事長)

僕よく呼ばれて話をするんですけど、今日も60枚ぐらいスライドがあるんですが、水力発電の話が1枚か2枚ぐらいしか出てこなくて、もっと水力発電の話が聞きたかったっていうことをよく言われます。今日も水力発電の話はほとんど入ってないので(笑)、まず水力発電についてちょっとお話したいと思います。じゃあ小さな水力発電ってどんなものかって言った時に、皆さんどれぐらいの規模のものをイメージされますか? (会場からの声)ああ20から30キロワットぐらい、なるほどわかりました。小水力発電と言ったとき、多分今日皆さんが抱いていらっしゃるイメージと、僕がお話するイメージがもしかしたら違うかもしれないので、ちょっとそこからお話ししようと思います。

 

小水力発電について

2011年に皆さんご存知のように東日本大震災が起きて、原発事故が起きて、それで2012年に固定価格の買い取り制度というのができました。それは太陽光発電とか、そういう再生可能エネルギーを電力会社が高い値段で買うというやつで、これがその固定価格買取制度というのに載っている値段表です。いくらで電気を買ってくれるかというのが載っているんですけど、大体水力発電は3つ段階がありまして、200キロワット未満というのと、200キロワットから1000キロワット未満というのと、1000キロワット以上から3万キロワット未満というのがあります。この辺で言うと、長良川の本流、美濃市に水力発電所がひとつあります。あとは板取川と長良川の合流地点にもひとつ発電所があります。実は電力会社がやってる発電所でも、さっき言った200キロワット未満とか1000キロワット未満の発電所はたくさんあります。長良川の板取川との合流点にある発電所は大体200キロぐらいの発電所で、板取川のちょっと上流から水を取って発電したりしてるんです。

水力発電って最近の技術だというふうに思う方が多いんですが、実はすごく古いものだという話をしたいと思います。日本で一番はじめにできた水力発電は、1892年に京都の琵琶湖から水を引いてる琵琶湖疎水の水で発電をした蹴上発電所というのが90キロワット発電してたんです。実は、僕が今住んでる石徹白(いとしろ)というところもそうなんですけど、岐阜県内には至るところに水力発電がありまして、それもダム式ではなくて、そういう集落でやるような小規模水力発電というのがたくさんありました。僕がこの辺で知ってるのは、大垣市と言ってもちょっと離れている上石津町というところに時山発電所というのがありまして、最初は地元で運営してた発電所でした。

日本の水力発電というのは、最初は流れ込み式発電所といって、川の水をちょっと取ってきて、どっかに落とすみたいなかたちで始まったんですけど、途中からダム式というのに替わりまして、まあこの辺だと徳山ダムとかありますが、日本の技術というのは全部ダム式の方に行って、この辺で言うと恵那市に大井発電所という関西電力の発電所があるんですけど、特に飛騨川沿いはどんどんダム開発がおこなわれて、日本ではほとんど小規模な水力発電というのはなくなっていきました。オイルショックの頃とか一時期、小規模水力発電導入しようみたいな流れができたきたんですけれども、その後ずっと低迷していて、最近になってまた小規模な水力発電が注目され始めたということです。

ちなみにここに日本とドイツの水力発電所の数の比較が載ってまして、ドイツは圧倒的に1000キロワット未満の発電所の方が数が多いという状況にあります。日本は1000キロワット未満というのは437しかなくて、1000キロワット以上は1407というふうになりますけど、ほとんど大規模なものばっかりです。これにはいろんな理由があって、日本の方が地形上ダムが造りやすかったみたいな話はひとつあると思います。技術が全部そういう中央集権的な技術というか、昔は各地に電力会社があったんですが、戦争中に全国の電力会社をひとつにまとめるということを国がやっちゃったんですね。戦後になって、それを本州については9つの電力会社に分割をしたので、それでどうしても大規模な方に行ってしまったというのがあります。ドイツでは結構、個人で小規模水力発電をやってる人がたくさんいて、スマホとかで発電量を管理して、それでちょっとお小遣いを稼いでるみたいな人たちがたくさんいるそうです。日本も地形が急峻なところもありますが、そうじゃないところもあるので、もっと小規模なものが増えないだろうかなというところがあります。

もうひとつの小水力発電の特徴なんですが、太陽光発電とか風力発電と違って、24時間365日発電するので、例えば太陽光パネルでは屋根とかに3キロワットとか5キロワットとのパネルを載せたりしてますけど、そういうのと比べると、大体6倍ぐらい発電します。メガソーラーという言葉がありますけど、メガソーラーみたいなのと、大体150キロか200キロぐらいの水力発電所は同じぐらいの電力量になります。これは豆知識なんですが、発電の量は(水の量✕落差)で決まります。もし皆さんの近くで発電したいなと思ったら、そこで1秒間に大体何リットル水が流れているかどうかを測ってみて下さい。その水が何メートル落ちるかによって、発電量が決まります。よく、特に大垣あたりに真っ平らだけどすっごいたくさん水が流れてる農業用水とかあるんですけど、そういうところで発電できないかって言われるんですが、落差がないと発電はできません。ですので、濃尾平野ではほとんど発電ができないです。

あともうひとつお話すると、僕が今やってる小水力発電は、その場で電気を作って、すぐその近くの家で使います。このように電力会社の電線使いません、つなぎませんっていうのを「自給エネルギー」と呼んでいます。こういう小規模なものは、要は電力会社の電線が止まっても電気を送ってくれたりするので、そういった意味では安心安全な電気ではあるんですけれども、すごく割高になります。要はこういった水車とか発電機ってあんまり量産されていないんですね。ですので、こういった発電機を探してくるとか、水車を自分で作ろうとかっていうことをしても、結局お金がかかるんです。僕らの集落でやってるのは、大体500ワットぐらいの規模のもので家1軒分ぐらいの電気ができるんですが、これを付けるのに大体250万円ぐらいかかります。家1軒分って、例えば月1万円使うとすると、12ヶ月で12万円使うので、20年ぐらい使うと240万円ぐらいになり、まあ元が取れるか取れないかぐらいなんです。なので決して割安にはならないけれども、お金以外の価値があるというか、自分で電気がつくれて嬉しいとか、電力会社の電気を買わなくてもいいとか、そういうようなことなんです。一方で「流通エネルギー」は、大体100キロワットぐらいでないと採算が取れないと言われてますけど、数十キロワット以上で大体億単位の投資額になります。ただ億単位の投資をしてちゃんとお金が回収できないと困りますので、やっぱり費用対効果が重要みたいなことになります。ですので日本全国では「流通エネルギー」としての小規模水力発電の方が圧倒的に多いです。「自給エネルギー」としての小規模水力発電は、実はなかなか難しい、なかなか普及しないという、そういった現実があります。

 

石徹白(いとしろ)との出合い

それでは、僕がどのようなきっかけで今にいたったかについて少しお話させていただきます。大学を卒業して、地方の街づくりをやりたいなと思いつつも、なかなかすぐにそういうことできないので、最初は商業施設のプロデュースをする会社に就職をして、その後経営コンサルタントの仕事をしたりということをやってたんです。そのときに、日本の大手商社がクライアントだったことがあり、それでちょうどいろいろ資源とかエネルギーについて調べることがありました。その頃は2005年から2007年あたりなんですけど、ピークオイルとか地球温暖化とかそういうことが結構言われてた時期で、それでもし皆さん機会があればぜひ読んでいただきたいんですが、『成長の限界 人類の選択』(ローマ・クラブ、1972年)という本には、人がどんどん増えていくと資源がどんどん減っていって、一時的に食糧生産の効率は上がるんだけれども、それがやがて頭打ちになり、それで人口もやがて頭打ちになるというような、そういったことが書かれていたんです。

さらにその頃、岐阜の仲間たちと持続可能な社会をどう作っていくかという勉強会みたいなのを始めたんですけれども、国立環境研究所というところで、どういうふうに温暖化を防止するかみたいな話をしていました。ここがシミュレーションをする上で2つのシナリオを書いていたんですけど、このシナリオAっていうのは「活力、どらえもんの社会」というもので、シナリオBというのは「ゆとり、サツキとメイの家」というものです。シナリオAというのは、みんな東京に集まって食糧とかは田舎ですごく効率的に生産をして、それを一気に大量に運んできて、もう技術ですべて解決していきましょうみたいな、そういう近未来型の社会を目指していこうというものですね。でもう一方のシナリオBは「ゆとり、サツキとメイの家」で、これは分散型で、こういう田舎みたいなところにも人が住んでいて、その場で作ってその場で使う地産地消型で、もったいないとか、そういう社会的文化価値を尊ぶ、みたいなものになります。この2つのシナリオをみたときに、当時僕は東京で高層マンションに住んでたんですけど、単純にシナリオAよりはシナリオBのような社会の方がいいなというふうに思ったんですね。僕はそういう商社のコンサルとかそういう仕事をしてたんだけども、グローバルにどういうふうに資源を確保していくかだとか、エネルギーをどうしていくかということを、考えていくという仕事もひとつは大事かもしれないんだけれども、まあそうじゃなくてそういう地域地域でエネルギーを作っていくとか、そういうことを僕としてはやりたいなというふうに思った。将来の社会というのが、どっちか片方になるわけではないと思うんですけど、できればこういう地域地域でできることがないかなというふうに思ったということです。

 

地域とエネルギーについて

よく農山村に住んでるおじいさんと話をしていると、昔はあんまりお金がいらない生活だったというか、そんなにお金を使わなくても日常的にはある程度生活ができたんだけど、今は常にお金がいる生活になって大変だっていうことをおっしゃるんです。そのひとつの象徴的なのが「エネルギー」で、ある名古屋大学の学生が、愛知県の豊根村っていう人口1500人ぐらいの村でエネルギーにどれぐらいお金を使っていますかという調査をしました。これは灯油、ガソリン、電気、もろもろなんですけど、エネルギー代だけで年間5億円使ってるそうです。僕が住んでる石徹白というところも、人口270人ですけど、電気代だけで大体1200万ぐらいは使います。そうすると、豊根村も僕の住んでる石徹白も水も豊富にあって、電気も作れたりとか、エネルギー作れたりするんですけど、それを有効に活用できていないというか、していないんです。皆さん岐阜県に住んでる方が多いと思うんですけど、岐阜県に住んでるけど、なぜか名古屋の電力会社にお金を払ってる、皆さん払ってますよね?でももしこの地域に電力会社があったら、そこにお金を払えばよくて、そこで雇用が生まれるみたいなことがあると思うんです。しかし、だんだん大きな仕組みになっていくと、地元でお金を回すことができなくなってきて、そういう大きなところにお金を払わないと生活ができないというふうになっていくんです。

そこで、エネルギーをきっかけにして、そういう農山村にある資源をうまく活用していくことによって、地域から出ていくお金を減らすことができないだろうか? エネルギーに取り組むことで、農山村の復権につながるんじゃないか?ということを考えました。グローバルで持続可能な社会を作っていくことは難しいかもしれないけれども、地域地域でできることからやっていったらいいんじゃないだろうかというふうに思い、郡上でそういう小規模な水力発電をやろうということでいろんな集落に行き、水力発電やりませんか?という活動を始めました。そこでたまたま訪れた集落に、たまたま石徹白のことを知っている人がいて、それで紹介してもらって来たのがこの石徹白というところなんです。

僕は半年ぐらいここの集落に通って、小水力発電を地元の人たちと一緒にやり始めたんですけど、通ってるうちに、すごい面白いところだなあというふうに思いはじめました。すごく人口が減っていて、危機的な状況にある集落なんですが、ここでは、自分の親世代の人がおじいちゃんぐらいの感覚なんですよ。ちょっとした大工仕事とか、何でも自分たちでやっちゃうんですね。僕たち夫婦が引っ越してきてから子供が生まれて、ちょうど4月に雪が解けて、そろそろ鯉のぼりを立てようかなという時に、郡上八幡で郡上本染めって結構立派な鯉のぼりがあって、それを嫁さんのお父さんお母さんが買ってくださったので、どうしようかなと思って、ちょうど家の隣にコウジさんという70代後半、80前後ぐらいの人がいるんですけど、鯉のぼりの棒を立てたいんですけど、何か長い棒とかないですかとかって聞きに行ったんです。そしたら、僕らが来るのを待ち構えてたらしくて、ちょうどコウジさんの家の裏に杉の木がいっぱい植わってるんですよね。これから一緒に切ろうって、すぐ裏の山に行って、杉の木を1本、大体高さ20メートルぐらいの木を切って鯉のぼりを立てたんですがそれがすっごい手際がいいんですよ。これを見てすごいなと思って。僕が70代になった時に、隣に若い奴が引っ越して来た時に、なんか棒がありませんかって言われたら、同じことができるかなと。要は自分で植えた木を切って、木の立て方から何から全部さささっとやれちゃうみたいな、その格好良さみたいなところが、ここの集落の人にはあるんです。

そういうものに惹かれてここに住みはじめることになったんですけど、2007年からの水力発電の取り組みは、最初はすごく小さなものから始めました。というのも、みんな素人だったんですね。それで、僕が今いるNPOの理事長さんが、ベトナムに安い水車があるからそれを輸入してきて、設置したら簡単に電気ができるんだっていう話をしてたんです。それで、ある補助金とか助成金みたいなのを250万ぐらい取ってきて、ベトナムから水車を輸入して水車の設置をするんです。地元の人たちにどこが水たくさんあって、どこで水落ちてますかねみたいな話を聞いたんですが、水路は全部自分たちのものだと思ってるらしくて、あそこつけていいぞみたいな感じで、これ今単管パイプとか組んでありますけどこういうのとかも全部地元の人だけでみんなでやって設置をしてくれたんです。ただ後で、水利権とか、土地を使うのとか、ちゃんと許可を得なきゃいけないって市役所に怒られたんです。

(写真を見ながら)この水車は最初に設置したものなんだけど、落ち葉の時期だったので落ち葉が流れてくるんですね。そうすると、すぐゴミが詰まるんですよ。5分ぐらい回してると、ゴミが詰まって使えなくなる。買って電線につなげばすぐに発電、電気起きるんだろうと思ってたら、電気はほんとは制御をしなきゃいけないらしくて、それも知らなかったので、水がドーンと勢いよくやってくると、電球は点いてたんだけど、いきなり電圧が上がって電球が割れちゃったりとかですね。2007年の夏、秋から半年かけて仲間たちで3つの導入をやったんですけど、なぜか僕はこれに未来を感じて東京の仕事を辞めてしまいました。今考えるとすごいことだなと思うんですけど(笑)、これを始めたのがきっかけで、いろんな専門家の人にアドバイスをいただいたりとか、あとちょっといろんな国の研究費みたいなの引っぱってきたりとかいうことをやって、実用化できる水力発電を導入しようということで、2009年にこのらせん水車というのを入れて、ようやく実用的に使えるようになりました。

 

将来にわたって小学校を残そう

こうやって水力発電の取り組みをまったく素人から順番にひとつずつ地元の人たちと一緒に、岐阜から通いながらやってたんですけど、そうするとだんだん聞こえてくる声がありました。要は、地元の人たちが、あれは自分とは関係ないんだみたいな話とか、一部の人たちがやってるだけとか、余所からよくわからない人たちが来て、水路で遊んでいるとか。たしかに水路で遊んでいるようにしか見えない。大体そういう田舎の人たちというとあれなんですけど、環境問題とか資源とかそういうことって、別に日常的に考えてるわけでもなくて、地元の多くの人たちにとってはそれはまあどうでもいいことですよね。僕がこう外から通って、地元のためにと思って、地元の一部の人たち、NPOの人たちと一緒にやるわけですけど、これやってても、この先あんまり発展してかないだろうなということがあって、水力発電以外のことで地元の人たちがなるべく関心のあることをやろうということを思いました。石徹白は昭和30年代は人口が1200人あったんですが大体50年、60年ぐらいで4分の1ぐらいに人口が減ったわけですけど、やっぱり集落がこのまま無くなってしまうんじゃないかという危機感があって、地元の人たちの合言葉が、将来にわたっても小学校を残そうというものでした。そのためには、地元の人たちがやりたいと思ってることをひとつずつかたちにしていくといいなというふうに思って、2009年に石徹白の公式ホームページを作ろうという話が地元の人たちの中から出て、それで地元の人たちと一緒に石徹白公式ホームページというのを作りました。

それとちょうど同じ時期に、地元の女性たちでカフェをやりたいという人たちがいたので、地元の食材を使ったカフェを立ち上げました。これもすごく小さなところから始まっていて、今は毎週末営業をしているんですけれども、最初の頃は月に3回やって、当然時給とかも出ないというようなところから始まっています。あとはさきほどの農産物加工所を活用して、そこで特産品の開発をしようということをやりました。ここは標高が高くて、すごく甘くて美味しいトウモロコシができるので、そのトウモロコシを使った加工品というのをやり始めました。でもこれもやってみると結構大変でして、機械にクモの巣がはってたりとか、いろいろな虫が出てきたりとか、そういうところをまったくゼロからきれいにして、それで、何を特産品にするかっていうところから始めて、途中で組合を立ち上げて、今ちょうど丸3年たったところです。

あとは、僕が今着ている服が「たつけ」っていうんですけど、農作業の時に履いていたズボンなんですね。麻でできていて、特徴的なのはすべて直線断ちでできているんですね。洋服だと端切れとかが、服作ると出るわけですけど、これはまったく端切れが出ない作り方をしていて、かつ細身ですごく股を開きやすくて動きやすいという機能的な服なんですが、日本の衣類の文化ってそういう端切れが出ない四角い布だけでできてたりするわけですけど、そういう日本の作り方で作られているものが、別にここの集落だけじゃなくて全国いろんなところにあります。もともと衣食住は全部自分たちでまかなっていたという時代があって、こういう服については作るのがあまりに大変だったので、明治時代の産業革命の時は一番最初に自動化されたみたいなところなんですけど、それを復刻させるような活動を僕の妻がやっています。

さきほど水力発電とカフェと特産品っていう話をしましたけど、どの活動も僕らが重視しているのは、みんなで楽しくできることからやろうということ。一部の人だけでやってるみたいなかたちとか、すぐにどうやってお金を儲けるか、どれだけ稼げるかってことをやってると、だんだんしんどくなってくるというところがあってですね、小さなところからまず始めようということでやっています。水力発電を一応実用化をすると、なかなか珍しいものなので、結構いろんな人が見に来られるんです。で、その電気で特産品を作るということをやってるわけですが、だんだん、震災の影響もあってですけど、大型バスで年間800人見に来られました。秋のシーズンだと、週に2回ぐらい大型バスで見学に来るんですけど、そうすると、お昼を食べるところがないので、さっきのカフェにお昼をお願いすると。そうすると地元の食材を使ったランチを出してくれるわけです。そうすると女の人たちは、水力発電なんてもともとまったく関心がなかったわけですけど、水力発電やってるおかげでお客さんが来てありがたいみたいな話になってくわけですね。今度はそのカフェで水力発電を見に来たお客さんが、特産品を買ってくださったりということがあって、それぞれ別々の活動が有機的につながってくるということが出てきます。ホームページを作るのもそうだし、カフェもそうだし、特産品も小水力発電も、何もないところからまず一歩やってみるということをやりました。本当にこれがかたちになるんだろうかというのは最初はわからないところからやってますけれども、でもまずやってみると、それによって、何かちょっとお客さんから反応があったりとか、新しいつながりが生まれたりとか、そういったことが起きてきます。じゃあもうちょっと事業をちゃんとやってくためには、ちょっと投資をしなきゃいけないとか、本気になってくるみたいなサイクルがあって、そういうふうに小さな活動がだんだん発展してきたなあというふうに思います。

そういうことをやっていると、なぜか移住する人も増えてきました。さっきのホームページの中に、ここに入って自然栽培で農業をやってる人なんですけど、この人は石徹白に暮らしてどうだったかっていうことを、移住を希望する人に向けたメッセージを書いてますね。このホームページって自治会長さんとか、地域の主な人たちも認めてるので公式ホームページなんですけど、そうすると、これを見て移住してくれる人たちが出てきたりとか、水力発電を見に来たのがきっかけで移住する人が出てきたりだとか、そういうことがあって、2008年から2015年までの7年間で全部で12世帯、外から入ってきました。生まれた子供も入れると28人増えたということになります。人口も増加に転ずる年が出てきまして、2010年とあと13年から14年は、5人人口が増えています。15年の数字が今ありませんが、今年も、亡くなってく人はどんどん亡くなってくんですけども、それを上回るかたちで子供が生まれたりとかってかたちになってます。今年は4人子供が生まれました。ですので、小学校は今6人ですけれども、保育園は今7人、新生児が4人なので、全部で11人小学生以下の子供たちはいて、地元出身の人の子供は3人で、それ以外の8人は外から入って来た人たちの子供です。ですので、この数年の移住とかがなければ、あとは子供も3人しかいないという状況だったんですが、まだ何とか小学校としては存続ができるような状態です。

 

地域づくりはそもそも当たり前のことだった

こうやっていろんな地域づくりの活動をやっていたら、今の自治会長さんに言われたのが、地域づくりって別に君たちが、僕らが来たから始まった話じゃなくて、昔からやってるんだということを言われたんですね。僕はここ数年こうやって移住の人が増えてたりとか水力とかやってて、ちょっといい気になってたなみたいなところがあって、そこをピシャッといやそんなの今に始まったことじゃないって言われたんですけど、これはどういうことかというと、昔からここで暮らすということ自体が地域づくりというか、自分たちの手で暮らしを作るとか、自分たちの手で村を作るというのが、そもそも昔から当たり前のことだったんだということを言われました。

実は水力発電もそうだったそうで、大正13年に全戸出資で発電所を作ってるんですね。これ有限会社石徹白電気利用組合というのを、1924年に作って、組合員が175名とありますけど、ほぼ全戸で組合で出資をして、それで発電所を作って、昭和30年までこの集落内の発電所で電気をまかなっていました。これって、僕らは今小さな発電でも四苦八苦してるわけですけれども、当時は当然インターネットもないし、山奥でそんなに情報があったとも思えないんですけれども、どこからか発電機を買ってきて、土木工事をして、管を設置して、発電機を付けて発電をした。そして全世帯に電線を引いて、そこに電気をつけるというのを、大正時代とか昭和の頭にやっているわけですね。結局、昭和30年に発電所を閉鎖して北陸電力から電気を買ってるんですけど、この時も、北陸電力の電線を引くのに、15キロぐらい引かなきゃいけないので、村で負担金を払わなきゃいけないということになって、山の木を切ってお金に換えて、今のお金で言うと数千万ぐらいのお金を北陸電力に払って、それで電線を引いてもらったそうです。こういう話を聞くと、僕らが小さな発電をやってるのが大したことないというか、昔の人たちは重機もなくインターネットもない時代に、電線を引くのについても、村の人たちが自分たちで決めているわけです。こういう山奥じゃなくても、昔は日本中どこもそうだったと思うんですけれども、今だと市役所とか県庁に文句を言えばなんかやってくれるみたいなところってあると思うんですね。でも昔は多分道を作るのも、橋を架けるのも何でも自分たちでやっていた時代があって、それが、だんだん自分の手元から離れていくと、誰かのせいにするっていうふうになっていくんだと思います。電気もそうなんですけれども、かつてはやっぱり実務の力というのがあって、ここの集落の人たちは、その実務の力が残ってた頃を知っている、自分たちでこうやって村を回してたということを知っている人たちだということがよくわかったんです。

それで、今どんどん人口が減ってく中で、この集落を将来につないでいくために、今の世代だからこそ何をやるべきかということを考えた時に、発電所を作ろうということになりました。それで、2014年4月に100世帯全戸が出資をして、新しく100世帯だけの農協を作りました。これ石徹白農業用水農業協同組合という組合なんですが、実は2つ発電所を作るんです。ひとつは、市役所、国と県と市がお金を出す発電所で、もうひとつは、農協が事業主体になって県と市から補助をもらうという発電所です。実は行政の発電所は、今年の6月に稼動を開始しまして、それで日々管理をしているんですけれども、集落全戸で出資した発電所は、来年6月に稼動開始の予定で、これ両方合わせると大体230軒分ぐらいの電気ができます。電気は全世帯、まあ当然今の時代では電線を新たに引くということはなかなかコストがかかって現実的ではないので、電力会社の電線に売電はしますが、地元の人たちが本当に自分たちで決めて、借金をして、総工費2億4千万なんですけど、みんなお金を出し合って800万資本金を作って、自治会の役員の人たちが、この農協の役員になって、連帯保証人に判子を押して、この発電事業をやろうということになりました。

 

自分たちのことは自分たちでやる

皆さんがおっしゃるのは、この水力発電が目的でやってるんじゃないということを言うんですね。だから水力発電所が完成したら終わりとかではなくて、結局、昔はみんなで力を合わせてやってたのに、今はだんだんみんなで力を合わせないようになってきたから、そうすると、自分たちで仕事を作るとか、自分たちで村のことをやるとかやらなくなってくとやっぱり村というものはどんどん衰退していくというのは当然であると。だから、みんな便利な方にどんどん出ていくわけですけれども、じゃあ昔の人たちがやってたように、集落のために今何ができるかというと、こういうものに取り組むのをきっかけにもう一回集落が一致団結するということをやっていこうと。売電益が出てきたら、そのお金を使ってまた今度新しい事業を起こしていこうと。こういった自分たちの地域の課題を、自分たちで解決していこうということをやろうということで、今取り組んでいるところです。こういう自分たちで電気を作るというのも実は古くからある話で、それを今の時代に越えて復活をさせているという取り組みなんだということです。

最後にひとつだけ。持続可能な社会の話を最初の方にしましたが、僕がやりながら思うのは、この4つです。1つは、石徹白みたいなところに住んでいると、どこから水がやってきて、目の前の畑で食べ物が獲れてというのがすごくわかるということです。実はなかなか街に暮らしてると、自分の命がどこに支えられているかみたいなことを感じ取りにくい。そこで一次産業だったり、土だったり、そういったものに自分たちの命というのはつながっているということを知るということがひとつ大事なことかなあと思います。2つめは、自治とか、郡上の人たちの言葉で言うと「甲斐性」っていうんですけど、誰かのせいにしないこと。自分たちのことは、自分たちで解決するとか、自らの手で暮らしをつくるというのがとても大事なことなんだと。3つめは「大きなシステムと、小さなシステムの併存」というように、電力会社のシステムとか、要は今の高度な社会に僕ら生きているので、それを全部否定するというわけではないんですが、そういうものだけに頼るんじゃなくて、サブシステムとして小さなシステムもあるべきではないか。だから大きなものが揺らいだ時に、それでも地域とか暮らしは揺るがないという、そういった社会であるといいなあと思っています。最後4つめは、日本のような経済成長を終えた国が、未来の持続可能社会の模範を示すようなことができないかなあと思っているところです。

大変長くなりましたが、こんなことを考えながら、地元の人たちと、水力発電と地域づくりに取り組んでおります。もし機会があればぜひ遊びに来ていただければと思います。はい、以上となります。ありがとうございます。